壱.大陸へ 北朝方による「正史」では、後亀山天皇第三子恒敦親王に始まる南朝正統・小倉宮家は、三代教尊王が禁闕の変に連座し、配流先の隠岐で薨去されたことで断絶したと伝えられます。 しかし実際には、教尊王は、後醍醐天皇を信奉する現地の武士や海賊…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。