皇紀二七七九年弥生晦日。北朝方の皇居にほど近い帝都・八重洲の某会議室に集められたのは、いずれも誉れ高き南朝方皇族の祭祀継承者と忠臣の後裔たち。 【懇談会列席者】 ・竹田宮五輪王(ちくだのみや・おりんぴっくおう)・越中宮光子内親王(えっちゅう…
壱.大陸へ 北朝方による「正史」では、後亀山天皇第三子恒敦親王に始まる南朝正統・小倉宮家は、三代教尊王が禁闕の変に連座し、配流先の隠岐で薨去されたことで断絶したと伝えられます。 しかし実際には、教尊王は、後醍醐天皇を信奉する現地の武士や海賊…
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